【町内会の沿革】
自治町内会としての成り立ちについては、畑や松林に覆われたこの地に、戦後まもない昭和22年10月に国の運輸省東京地方建設部が鉄道の枕木を加工する為に辻堂製材工場が開設したことに伴って、従業員などが居住し始めたのが始まりで、当初は「辻堂北町町内会」に所属していました。
高度成長期に入って辻堂はベットタウンとして人口が急増し、町内会でも居住世帯数の増え、昭和34年に約60世帯により「ガル池町内会」として独立しました。
その後、昭和48年に羽鳥5丁目の一部の世帯も「ガル池町内会」に合流して約270世帯の町内会となり、それを機に名称を「新町東町内会」に改称しました。
昭和54年には町内会館を新設し、昭和55年に羽鳥地域が「高山町内会」として分離して、現在の様な地区割りとなっています。
そして令和4年に、これからも故郷や地域の歴史を後世へ大切に伝えていくため、地域に根差したより愛着のある名前を使った町内会名称にすることが必要であると考え、本来の「ガル池町内会」に戻し、今日に至ります。